LGBTとかいう性をいくつにも分類して、差別をなくそうなどという事が問題化されていますね。
差別をなくすのは良いのですが、性別をそんなに細かく分類する必要性を感じません。
このように分類することで、新たな火種を作っていることには気が付かないのでしょうか?
分類するという事は、分断を生むことになり、争いを生みます。
いまだに人種間の問題も解決できていない中で、さらに人間を分類して問題を大きくしようとするのはなぜでしょうか?
生物学的には、生まれた時に体のつくりの違いで男女という性別があります。
これは人間に限ったことではなく、多くの地球上に生まれる命には性別の違いが存在します。
子孫を残すために男女という性の差があるからです。
この男女が存在して子孫が残されていきますよね。
そのために男女差があります。
もちろん、男女の差が生じても子孫を残せるものと残せないものは存在します。
では、トランスジェンダーのような心は女なのに体は男、反対に、心は男なのに体は女という主張があります。
性別がないジェンダーレスという人もいるようです。
まず、性別がない人間はいません。生まれた時には身体的な違いで男女という性別があります。
また、心に男女の区別はされていません。
なぜ、トランスジェンダーと主張する人は心が女だとか、心は男だとかを主張するのでしょう。
女性らしくとか男性らしくというのは、人間が作り上げてきた男女を区別した概念です。その概念は作られたものですから、生まれた時にはないものですよね。
では、ジェンダーの人は何を指して心に男女差を作っているのでしょうか?
昔の人が作り上げた男らしく、女らしくを指しているのでしょうか?
心にはそもそも男女の区別はないはずです。
トランスジェンダーの人たちは、何を比べて心が男とか女と決めているのでしょう。
体に違和感があるからという説もありますが、生まれつき目の見えない人や体に欠損がある人がいます。
この人たちも自分の体に違和感はあると思います。
完ぺきな人はいないのです。
どのような人も差別しないようにしましょうというならわかります。
しかし、トランスジェンダーの主張はどうやらそういうものではありませんよね。
体は男で生まれたため、体力も肉体も男性なわけです。
心が女だといったところで、生まれついて持つ能力は女性ではないわけです。
心が女性だからとオリンピックなどで女性として出ても身体能力は男性ですから、選手間での差が生まれてしまいます。
つまり、心が女とかいう事は関係ないのです。
この世の男女差は性別での区別であり、心の区別を言っているわけではないのです。
トイレの問題が大きく取り上げられていますよね。
これも簡単なことで、心でトイレを決めているのではなく体の構造の仕組みでトイレを区別しているのです。
体が男なら男子トイレ、女なら女子トイレに入ればいいのです。
心は関係ありません。心でトイレに入るわけではないからです。
この世には、自分は人間であることに違和感があると感じる人もいるかもしれません。
自分を猫と感じる人もいるかもしれません。
でも、その人が人間ではなく猫として扱ってほしいと言ったとしましょう。
どうしますか?世の中、ぐちゃぐちゃになってしまいませんか。
男女平等といいながら、性別をさらに分類して差別化をしている。
変な世の中です。
LGBTなどという性別の分類など必要ありませんよ。
心は自由です。
心に男女差を作ることこそ、時代錯誤ではないでしょうかね。
ネットでトランスジェンダーの人がいましたが、髭面で40代ぐらい、ガタイが良く、ピンクのミニのワンピースを着ていました。差別的だといわれても私には、その人が女性だとは見えませんでした。
そもそも、40過ぎの女性でさえそんなピンクのミニワンピースなんて着ませんからね。
単なる、個人の趣向のようにも見えますけど。